偏見屋さんの独り言

ひねくれ者が世界を見たときの偏見を多めの水で薄めて文章にしています。

昔のぼくは寝すぎていた

早起きをしないで良い人生を送れたらどれだけいいか

と中高の頃ずーっと思っていた。

 

毎朝6時前には起きてクソ遠い田舎まで電車に揺られる日々。

まじでキツかった 

 

その地獄のような早起き生活から

一時的に解放されると信じて夢を膨らませていた大学生活。

なぜか一限が毎日あった。

 

理解不能

あまりにも辛かった。

 

なんとかその学期は毎朝頑張って起きてやり切ったけれど、

これじゃあ大学生の特権を何も手にしていない

と思い次の学期からは必修科目を削ぎ落として一限をほぼ無くした。

 

最高に快適な日々。

毎日8〜10時間は寝ていた。

もう二度と一限なんて行くまいとも思った。

それに加えて、睡眠時間が短いとパフォーマンスが落ちる

と言う人たちの意見を何度も聞いて

たくさん寝ることは正しいとも思っていた。

 

このことから分かるように、

睡眠時間を十分に取れることは自分の中では最高の喜び。

それは今も昔も変わっていない。

 

だけれど、

もう昔のように10時間爆睡するなんてことはもうしない。

それは単純に時間のムダだから。

 

そう思うようになったのは

早い時期から圧倒的な成果を残している人の多くは

若い頃に寝ていないことが多いとわかったから。

 

例えば

これは聞いて驚くくらいすごかったのだけど

はねトび全盛期時代のキングコングの1日のスケジュール。

 

ポスト“岡村隆史”だったキンコン梶原 「はねトび」時代の地獄スケジュール明かす 【ABEMA TIMES】

36時間ぶっ通し。

寝れるのは移動の2時間だけ。

梶原は寝れたけど、西野はネタを書くから3徹していたんだと。

 

ヤバすぎる。

言葉が出ないくらいの衝撃。

まあ、もちろんここまでの事は到底長く続ける事はできず梶原は飛んだのだが、

それにしてもすごい。

 

他にも有名どころで言うと、

前田裕二社長やGACKTは3時間睡眠。

明石家さんまなんて2時間睡眠。

 

積み上げで人間の成りが上がると考えると

6時間睡眠の人は3時間睡眠の人の半分作業する時間を失うから

その分の差は開いてしまう。 

と考えると

寝ない人の方が同じ24時間を有効に使っている事になる。

 

確かに、

ホリエモンとかは8時間睡眠を推奨していて、

起業時も絶対にそれを崩さなかったらしいが、

それ以外の16時間は全時間全て仕事の費やしていたと言うのだから

それはそれで超人芸と言える。

 

だから

作業時間を確保するのに常人は余計に寝過ぎないようにする必要がある。

 

でも

そもそもの問題として

過去の自分を思い返してみれば

やることがあまりにも少なかったから

寝る時間を減らす必要性がなかったし、

普通に考えれば長時間寝られる状況下に置かれれば

長いこと寝てしまうのは人間のサガなので

寝ないと決意を固めたところで仕方がない。

 

だから、

意図的にある程度忙しくなるように予定を組んでいくのが重要なのではないかと思う。

その中でも一番いいのが、

眠くなる時間(夜)に何かしら予定を入れて

朝明るくなってきたら起きるみたいなやり方が一番いいのではないかと思う。

 

皮肉だけど、若い人は寝る体力があるから長時間寝たがるけど

短時間睡眠で体がもつのは若いうちだけという側面もある。

 

 

だから

年取ってから毎日たっぷり寝られるように、

若い今はもう10時間睡眠なんてことは基本しないようにするってだけの話でした笑

 

 

<今日の偏見>

自分らしく精一杯頑張りますって言ってる人、やる気ない。

 

正しい彼女の作り方

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彼女は居ない方が絶対に良いと本気で思っていた。

 

自由を奪われるし、

カネもかかるし、

ロクな事は何一つないと考えていた。

 

そんな事をするなら新規を追いかけながら、

自由な生活を謳歌した方がよっぽど良いと思っていた。

 

それに、10年後から振り返って

あの時は誰々と付き合っていたとか思い出した時に無意味だと感じるような事はしたくない。

 

と言うか

どうせ結婚しないなら

わざわざ付き合う必要性はゼロと考えていた。

 

でも、最近ではその考えは変わってきた。

 

結論、

まともな彼女ならいた方がいい。

と言うか必要不可欠。

 

もう消えてしまって動画はないが

与沢氏がYoutubeで彼女は絶対必要だという事を話していたのを見て

なんとなく思っていたこの事の重要性が強く感じられた。

 

たしか

30分くらいの動画だった気がするが

何故かを簡単にまとめると、

金と時間と労力の面で圧倒的に効率がいいから

という事。

 

まず前提として、

三大欲求の一つとしてカウントされる性欲(愛欲)を捨てる事は不可能だという事実がある。

これを無視しようとしても絶対に無理。生物である以上。

定期的に発散しなければならない。

そしてそれを決まったパートナーと定期的に出来ないと効率が悪いという事。

 

 

思い返せば毎度胸を躍らせてデートに行くたびに

どれだけの時間と金を失っているか。

 

例えば、

新しい子と昼頃から映画デートの場合。

昼頃集合で映画見て、夕飯食べて、二軒目行って、フィニッシュまで行き、昼まで一緒にいたら丸一日潰れる。

金銭面でも2万近くは消える。

 

確かに楽しいし達成感もあるが

長期的に見たときのロストがかなり大きい。

それに月に一回とかなら問題ないだろうが

そうはいかないだろう。

 

もちろん、

毎回フィニッシュまで行くまで

脳みそを使いながら事を進めて行くので

完全悪とは言えないが

一定の水準に技術が達したら繰り返すのは不毛。

 

何故なら彼女がいればノーコストで欲の解消が出来てしまうから。

しかも愛まであるので発散のクオリティーも上がる。

 

最高じゃないか。

 

こういうと

女性をモノとして見るなと言うご最もな意見が出てくると思う。

でも、

こういう側面があるのも事実。

そもそも言わないだけで女性もお互い様なのだから。

 

他にも、

彼女がいれば

女のことを考える時間が無くなる(減る)から

するべき事に集中できるというメリットがある。

何より精神が落ち着くし。

 

メリットを挙げればキリが無い。

このように考えると彼女は絶対にいた方がいいということがわかる。

 

でも、メリットばかりを上げてきたが

これは彼女がまともならという絶対条件がある。

やべえやつと居るとお互い消耗するし何もプラスになるものがない。

 

さて、

ここからは個人的に大事だと思う

正しい女性(まともな女性)を選ぶ時のポイントについて話そうと思う。

 

では早速行くと

個人的に見るべきポイントは3つ

 

①精神年齢が高いか

彼女が居ることのデメリットとしての最たる例は自由が奪われるということ。

例えば束縛をしてくるなんてのがもっとも多いケースだろう。

でも、

それは相手の精神年齢が低いからそんな事をされるんだと思う。

精神年齢が低いと燃え上がるような恋愛を短期的にしようとし、

相手のことで頭がいっぱい状態のまま物事を考えてしまう。

一歩引いて関係を継続できる精神年齢を持ち合わせて居るかどうかはかなり重要だと思う。

そもそも、

ちゃんと信頼関係を作れていて管理もしっかり出来ていれば

そんな心配は出てこないのだが。

手っ取り早く精神年齢が高い人と出会いたいなら歳上と付き合うのがいいと思う。

 

②欲深くないか。

パパ活女子など言語道断である。

例え欲深い女と関係が対等に近い状態で付き合っても本質的にその子は欲深い。

そんな子と一緒にいれば消耗するのは間違いない。

そして高確率でワガママ。

養分になりたくない人は避けるべき特徴だと思う。

 

③試合の相性がいいか

付き合った後に試合をしてババを引いた場合どうなるだろうか。

間違いなく地獄だ。

その後の関係を継続するのは極めて困難になるだろう。

付き合って1年経っても手も繋がない

なんちゃってカップルが誕生するのも

付き合う前に試合をしないことが原因なのではないだろうか。

まず第一に口約束だけで付き合ってる状態なんて

生物のルールを無視していることになる。

そもそも試合ができるかどうかが脈ありサイン。

 

 

以上ここまでが

自分にとっては外せない三条件

このモノサシを使えば恋愛面では幸せになれるんじゃないかな。

自分がそうだから胸を張って言えるのです。

 

<今日の偏見>

カラオケで小さな恋のうたを歌う奴は何をやらせてもダメ。

 

インスタ辞めます

こんにちは!

 

北斗の拳第3部まで見終わりました。

作業用 北斗の拳(再) - ニコニコ動画

 

やっぱ何十年も前の作品なのに今日まで語り継がれてる作品だけあって面白い。

展開は読めるし、話に奥の深さもないけれど

キャラクターのかっこよさだけで面白い。

 

早いところ全部見終えたい。

誰も語れる人がいなくて寂しいから誰か見てくれ。

 

さて、本題に入ると

タイトルにもある通りインスタ辞めます。

 

これは別に前から考えていて

計画的にこのタイミングで辞めるとかではなくて、

突発的に必要のないということに気づいたからやめます。

 

昨日の夜ビビッとひらめいた。

 

 

じゃあ

何でこうなったのか理由を順を追って説明すると、

 

まず初まりは、

最近ずっと「正しい金の使い方」について調べていた事。

 

金の増やし方、

節約の方法とかは

調べれば腐る程出てくるけれど、

金の使い方について解説している人はあまり多くなかった。

 

当然みんな

「自己投資にお金を使いましょう」

とか

たいそうな事を言っているのだが、

結局のところ行き着く結論としては

「無駄遣いはするな」

という事。

 

色々な人の意見をまとめると当たり前だけれどこうなった。

 

じゃあ、

そもそも無駄使いの定義ってなんだって考えると、

あくまで個人的な意見を言えば、

「見栄の為に使う金」

なんじゃあないかと思う。

 

 

使ったことを後悔したら無駄使い

と定義することもできるだろうけれど、

それだとちょっと難しい。

 

後悔っていうのは

現在の自分から見たときの辻褄合わせだから。

だって

今バラ色の生活を送っている人がいたとしたら

何か過去の後悔するに値する行為を

反省をして教訓にすることはあっても

ずっと後悔しているなんて事は考えづらいから。

 

他にも

一瞬の快楽の為に使う金は無駄使いとも考えられるけれど

それを無駄使いと定義するとあまりにも窮屈な人生になると思う。

 

高級料理を食べたり、

遊園地で豪遊したり、

それこそ風俗に行くみたいな事は多くの人がムダ使いだと考えると思う。

 

でも

そのとき金を使う瞬間は

自分が本当にしたいと思っている事に金を使っているのだから、

そこを切り詰めすぎる事は精神衛生上良くないと考えられる。

(もちろん過度に浪費するのは良くない)

何より死ぬ時に後悔しそう。

 

それに対して

「見栄の為に使う金」を無駄使いと定義すると

無理なく必要外の出費を抑えられるはずだ。

 

例えば

周りの友達の服装がめっちゃオシャレで

自分だけダサいのは嫌だから服には興味がないけれど、

とりあえず良い感じのブランドでマネキン買いをするだったり。

 

休みの日は基本みんな遊びに行っているから

自分も出かけないと人生は暗い。

みたいな強迫観念に縛られていたら

望まない事に金を使ってしまう可能性は高くなる。

 

さらに突き詰めると

社会人になったのだから

車を持つのは当然だとか、

家を出て一人暮らしするのは当然

と言われているからそうするといったことも

見栄に惑わされてムダ使いをしてしまう例と言えるだろう。

 

例を挙げればキリがない。

見栄のためにムダ使いをすると必ず破滅に近づく。

 

だが

「見栄の為に使う金」を無駄使いと定義すると

多くの人が思い浮かべるのに

ブランド物を買ったり、

夜の街で大金を使ったり

などと言った事が挙げられるだろうが

それが経験という要素を含んでいるのならば必ずしも悪にはならないと思う。

 

高い何かを買うという目標のために何かを頑張るみたいな事は

それを買うという経験になるから。

何よりその期間の原動力になるから。

 

 

だけれど

これには大きな条件がある。

それは自分が本気でそうしたいと思っているかどうか。

周りの何かしらの情報に踊らされていないか。

 

そうなってしまう諸悪の根源は

間違いなくSNS。特にインスタ。

 

インスタで派手なことをしている人が居ると、

それに触発されて大してやりたくない事にも金を使いたくなってしまう。

 

さらにそれがエスカレートしていくと

今度は自分が憧れの存在になる為に、

本気で自分がしたいわけでもないことをするようになる。

 

インスタに載っける為に大してしたくない事にまで大金をかけてしまう。

まさに承認欲求の奴隷状態。

 

まだ未知の世界だけれど、

欲望には際限がないらしく、

ある程度使ったら満足して悟りの境地に達する訳ではないらしい。

あるところでストップをかけなければ無限に金は減っていくんだと。

 

そして

いつしか盛者必衰の決まりにならって破滅するとも。

 

 

 

もちろん

インスタを映えさせることが生き甲斐だというならば、

それはそれで否定しない。

 

ただ、

僕は拝金主義者で金を積み上げ、

それを正しく使うことこそが

幸福に繋がると思っているのでこのような判断に至った。

 

 

 

んな訳で、

しばらくはインスタは辞める事にしました。

 

まあ、どうなるかはわからんが笑。

てかインスタ見ないと偏見の質が落ちそうだな笑

知らんけど笑

 

 

<今日の偏見>

 下の中くらいの女、自分のこと上の下だと思いがち。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ブログ復活します

こんにちは!

偏見ヘビー級世界チャンピオンのよねすけです。

ブログもう一回始めることにしました!

 

今、久々に懐かしの

はてなブログを開いて、

本屋に行ってすぐにトイレに行きたくなるような、

なんだかソワソワするような感じで文章書いています。

 

よっ!待ってました!

っていう人と

こんだけ長い期間空けといて何で今更ブログ再開すんねん

って思った人と

両方の声がはっきりと耳元まで届いて来ているのですが、

今更ブログを再開しようと思ったのには3つ理由があります!

 

 

まず一個めは

シンプルに脳みそが退化していくと思ったから。

 

今回のウイルスで世界が変わってから

人と話す事が少なくなり

自分の考えとかを話す機会がぐーんと減った。

 

そうなった事で、

知識をいくら拾っても、

アウトプットをする機会が少ないため

吸収力が低下しているような気がしてならなかった。

 

さらに、

文章を書くことによる

自分の考え方が纏められる事もなくなり

意見を求められて答える時に自分の回答にブレが出てしまう。

 

簡単に言えば、

文章書かないとバカになるという事。

 

現に今こうやってブログを久しぶりに書いてみると、

構成を考えたりするのに意外と頭使っていることに気付かされる。

 

思っている以上に文章を書く事は頭を使うと気付かされた

っていうのが1個目の理由。

 

 

次に二つ目の理由が

ブログを書こうと思う事で日々の過ごし方が変わってくるから。

 

 

ブログのネタになりそうなことを常に考えながら生きる

って聞くと凄い息苦しそうな感じがすると思うけれど、

こうすることで

頭使いながら毎日過ごすようになり

今までにない発見だったり、挑戦が増える。

 

それとは逆に

ブログ書かなかった最近はもう

ヨダレ垂らしながら歩いている脳足りんの様な感じだった

 

見られているって感覚がサボれなくさせる。

人の目が人一倍気になる筆者は特に。

 

これが二つ目の理由。

 

 

最後に挙げられるのは、

記事は振り返りになるという事。

 

記事を読み返す事で

一年前の自分は何考えていて、

何をしていたのかを今の自分と比べられる。

あの時と比べれば大人になったなあとか

少しでも思えるのはそれだけでありがたいこと。

 

また、前回のブログを一通り読むと、

期間によって記事の質と量に大きな差があることに気づいた。

記事が少ないときは薄い日々を送っていたなあと思うし、

ある時期は毎日濃い生活を送っていたなあとも思う。

 

こういう振り返りが出来るのは、

現在と比較する上でとても貴重。

(日記だといくらでもサボれるからダメ)

 

だからブログを書く。

 

 

 

さて、

長々とブログ再開の理由を語ったところで

最後にさらーっと今回のブログのコンセプトについて言います。

 

今回はあまり自分語りしません。

自分の日記的な記事は最小限にして、

何か世の中の出来事や

自分の意見を偏見に基づいて語っていくのがコンセプトになります。

(だから全員に公開できるのです) 

 

そして、収益化などといった

よこしまな考えは最初は一切持たずに、

気が向いたら書くという感じで書いていきます。

 

そして、

最後には今日の偏見を書いて締めくくるという形にしていきます。

どうぞよろしくお願いします。

 

さてそれでは、

 

<今日の偏見>

質問箱の「今一番欲しいものは?」という質問に「時間」と答える人は精神と時の部屋に行った事がある。

 

よいしょーーー!!